太平洋戦争に踏み切った理由

「戦わなければ亡国と政府と判断されたが、戦うもまた亡国につながるかもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」

永野修身 - Wikipedia

1941年9月6日の御前会議終了後、統帥部を代表する形で永野修身(ながの おさみ)の発言。

以下、意訳。

戦わなくても国が滅び、戦ったとしても国は滅びるかもしれない。しかし、戦わずに国が滅びるということは日本の精神まで失うことになる。しかし、最後の一兵まで戦うことによってのみ、絶望的な状況でも活路を見出だせるだろう。もし戦って戦争に勝てなくても、国を護ることに徹した日本の精神が残れば、我々の子孫は何度でも再起するだろう。そして、戦争となった場合、我々軍人は大命の下、戦いに赴くのみである。

当時の日本は戦わなくても国が滅ぶ、戦っても国が滅ぶという状況でした。そして、日本は最後の一兵まで戦えば、絶望的な状況からでも滅びの道から日本を護ることができるかもしれないという一縷の望みに託し、太平洋戦争開戦にまで踏み切ってしまったのです。